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【ふるさと納税】薩摩錫器 焼酎タンブラー(260ml)1個《メディア掲載多数》鹿児島の伝統工芸品!ひんやりと冷たさをキープする錫製酒器のタンブラー【岩切美巧堂】

★平成30年5月15日放送「イッピン」で紹介されました★ 【ギフト包装可】 伝統工芸品『薩摩錫器』(さつますずき)を家族・友人・ご自身にプレゼントしませんか? 鹿児島県霧島市を代表する伝統工芸品で、鹿児島県伝統的工芸品にも指定されています。 300年の歴史を持つ薩摩藩ゆかりの錫細工です。 錫器は使うほどに味わいが出て手にするとずっしりと重みと温かさがあります。 また、イオン効果があり、焼酎の味がまろやかになるといわれています。 ※(H29.2.1)リニューアル(少しデザインが変わります)   ㈲ 岩切美巧堂 0995-45-0177 https://www.satsumasuzuki.co.jp/ 《c-023》

30,000 以上の寄附でもらえる
  • 常温
  • 冷蔵
  • 冷凍
  • 定期便
  • ギフト包装
  • のし
容量
容量 260ml 1個 直径 8.2㎝ 高さ 7.8㎝

★平成30年5月15日放送「イッピン」で紹介されました★ 【ギフト包装可】 伝統工芸品『薩摩錫器』(さつますずき)を家族・友人・ご自身にプレゼントしませんか? 鹿児島県霧島市を代表する伝統工芸品で、鹿児島県伝統的工芸品にも指定されています。 300年の歴史を持つ薩摩藩ゆかりの錫細工です。 錫器は使うほどに味わいが出て手にするとずっしりと重みと温かさがあります。 また、イオン効果があり、焼酎の味がまろやかになるといわれています。 ※(H29.2.1)リニューアル(少しデザインが変わります)   ㈲ 岩切美巧堂 0995-45-0177 https://www.satsumasuzuki.co.jp/ 《c-023》

30,000 以上の寄附でもらえる
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容量
容量 260ml 1個 直径 8.2㎝ 高さ 7.8㎝
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薩摩錫器(さつますずき)の特色

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錫は『割れない』『さびない』ことから縁起の良い金属です。
一生ものの伝統工芸品『薩摩錫器』を是非、ご自身・家族・友人などにプレゼントしてください♪

■薩摩錫器タンブラーの特徴

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■割れない、錆びない
錫は金属の中で、比較的やわらかいという特性があるため、割れないという特長を持っています。
さらに、錫は非常に特殊な素材で、空気中でも水中でも錆びません。そのため、有害な物質が水中に溶け出して人体に悪影響が及ぶこともないのです。

■お酒がまろやかになる
錫はイオン効果・抗菌効果が高く、お酒がまろやかになると言われ、現在も焼酎工場で蒸留器の管に使われています。

錫器は焼酎・ビールなどに最適!

■錫器は焼酎・ビールなどに最適!

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錫は分子が粗いため不純物を吸収する性質があり、水を浄化するといわれ、水は腐りにくく花が長持ちします。
また、イオン効果・抗菌作用も高く、酒がまろやかになるといわれ、現在も焼酎工場で蒸留器の管に使われています。
ぜひ焼酎やビール等で普通の食器と飲み比べてください!

お手入れ方法・使用上の注意

■お手入れ方法・使用上の注意

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【お手入れ方法】
ご使用後は、やわらかいスポンジ等を用いて食器用洗剤で洗い、よくすすいでから十分お拭き取りください。
光沢が鈍ったときには、半練りの歯磨き粉か砥の粉(とのこ)を水でとき柔らかい布で拭き取ってください。
それでもとれない汚れは、重曹を水でといて拭いてください。

【使用上の注意】
直接火にかけてのご使用、食器洗い機のご使用は避けてください。
電子レンジ・冷凍庫の使用はできません。

ギフト包装について

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商品はひとつひとつ専用の桐箱に入れてお届けいたします。

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のしへの対応も無料で行っております。

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専用の包装紙にお包みしてお届けいたします。

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専用の紙袋をお付けいたします。

薩摩錫器(さつますずき)へのこだわりや歴史

職人が生み出す本物の手仕事

■職人が生み出す本物の手仕事

溶解

溶解

錫の特長は、溶解温度が232度と比較的低く、鋳造しやすいこと。
作品の種類、大きさ、形状によって溶解の温度は異なっており、温度によって微妙に変化する錫の色を見分けるには相当な訓練を要する。
溶解の適温は温度計などを使用せず全て溶解時の色のみで判断し、正確な判別には10年以上の経験が必要ともいわれる技術である。

削り出し

削り出し

錫がはやわらかい金属であるため、道具に固く強力なものは使えない。そういった環境でやわらかい素材である錫をミクロ単位で削る。
製品の機能性の確保はもちろん、利用者の手に与える質感も配慮し、職人は内外面を削りながら指先の感触でそれを判断し、最適な厚みを創り出しているのだ。

茶壷加工

茶壷加工

茶壷の製造・加工は錫職人が目指す最終点と言われる。「茶筒を作って一人前」とも言われているのだ。
茶筒本体と中蓋、外蓋の大きさは100分の1の単位で調整されており、ちょうどのサイズに収まるようになっている。職人が手の感覚で作りだすその厚みに茶筒の密封性がかかっている。

錫の殿堂 薩摩錫器工芸館 岩切美巧堂

■錫の殿堂 薩摩錫器工芸館 岩切美巧堂

(有)岩切美巧堂は、1916年(大正5年)に岩切登一郎氏が錫パイプ(蛇管)を手がけたことに始まります。
その後、パイプより錫器の方が将来性があると考えた登一郎氏は、息子の登六を鹿児島の錫器製造老舗業者に弟子入りさせて、錫器の世界への門戸を開きました。
こうして始まった岩切美巧堂の錫器は、その無害性と独得の暖か味によって永年愛用され、その製法が受け継がれて来ました。

『錫の殿堂 薩摩錫器工芸館 岩切美巧堂』公式サイト

薩摩錫器360年の歴史

■薩摩錫器360年の歴史

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1.薩摩錫器のルーツは、1656年、八木主人佐(もんどのすけ)によって谷山に鈴山が発掘されたことに始まります。
錫は、人体に害がないうえに、融点が低く、加工しやすい金属であったことから、飲食器や工芸品、大砲の砲身に利用されるなど、幅広く利用されていました。
この発見は、薩摩藩に大きな利益をもたらすことになりました。

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2.錫器は、町人文化の中で高級感のあるものとして武家や商人の間で使われていたものと思われます。
庶民が生活用品として錫器を利用するようになったのは明治以降です。
技術の向上もあり、鹿児島ではどこの家にも何種類かの錫器があるまでに普及し、地域特性に根差した伝統文化となりました。
しかし、錫が戦争による軍事物資となってからは、その入手が困難となり、業界は大きな痛手を受けました。
その後、原料はマレーシアから輸入された物を使用するようになります。

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3.大正5年、国分で焼酎工場の蒸留冷却用錫管を手がけた当社始祖の岩切登一郎は、息子登六を弟子入りさせて、錫器の世界へ門戸を開きました。
登六は錫器を日本を代表する工芸品に高め、1933年のシカゴ万博では、日本の多くの工芸品の中から唯一、賞に輝くことになりました。
戦後、錫業界が縮小していく中で、登六は国分に帰り作業場を開き、数々の展覧会に錫器を出品し、工芸品としての地位を確立しました。

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4.その後、錫器製造は国分の地で子へ、孫へと引き継がれ、従来の「白地(磨き)」肌から、温かみのある「梨地」の肌合いを完成させ、さらにデザインに優れた「吹雪」技法など、現代的錫器の開発も手掛けるに至りました。
今日では、岩切美巧堂として、伝統の薩摩錫器を受け継ぐとともに、日本の錫器技術を担う製造元となっています。

薩摩錫器の関連「お礼の品」はコチラ

薩摩錫(さつますず)の歴史

錫山は、江戸時代はじめ八木主水佑元信によって錫鉱が発見されてから、錫の産出地として大変なにぎわいをみせました。 現在は石碑などがたっているばかりで、当時のにぎわいを見ることはできません。 しかし、鹿児島の中心部から遠く離れ、標高三百六十メートルの高地にある錫山には、今も露天掘跡や山師(鉱夫)たちの住居の石垣、錫山にある坑内で使用されたというランプなどが残されています。 八木元信は、一六五五(明暦元)年、四十一歳のとき錫鉱を発見し、開発した人です。 元信は、はじめ自分の力でこの錫鉱を開発し、税金として運上金を島津氏におさめていました。その後、一七〇一(元禄十四)年に島津氏の経営に移り、天保年間には年平均十一.五三トンの錫が産出され、藩の大きな収入源となりました。 ここで働く鉱夫を山師といい、産出量が「十万斤」時代といわれた一八五四(安政元)年頃は三百人もの山師が働いていました。それも遠く県外からやって来た人たちで、大へんにぎわったといいます。 現在、錫山には、錫鉱に関係ある史跡に次のようなものがあります。

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(1)錫鉱発見の碑
錫山発見から三百年を記念して、昭和三十一年に地福山にたてられたものです。近くには錫鉱の露天掘りの跡もあります。
(2)錫山の発見者八木元信の墓
八木元信は、桓武天皇の流れをくむ八木家初代光盛より九代目にあたるといわれ、藩の勘定奉行をつとめました。一六七一(寛文十一)年に亡くなり、西谷墓地の墓石には「安全院殿盛淳籌大居士」の法名が刻まれています。
(3)手形所跡・御蔵跡
錫山公民館の広い敷地の中に手形所跡という石碑がたっています。手形所は最初、東谷の御座元にあったので御座ともよび、金山奉行、書役などの役人がつとめていた役所でした。 御蔵跡は米や錫を保管するための倉庫のあったところで、この倉庫には年七五〇石の米が田布施の與下倉から運ばれ、鉱山で働く人たちに支給されました。
(4)大山祇神社・立神神社
錫鉱の発見者八木元信がたてた神社で、大山祇神社は鉱山の神である大山祇命を祭り、毎年、十月十九日には奉納すもうが行われ、三百年の歴史があります。立神神社は鉱山で働く人たちの幸せを願って、最初は立山岳に建てられ、一七五二(宝暦二)年、現在地に移されました。
(5)女郎墓
錫山中学校の裏手に、女郎墓といわれる墓があります。錫山で古くから歌われている石刀節(石当節)の中にも出てきますが、彼女たちにまつわる話はほとんど残っていません。
(出典:「鹿児島市の史跡めぐりガイドブック-四訂版-」鹿児島市教育委員会・平成11年3月発行)

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霧島の黒(黒豚・黒牛・黒さつま鶏、黒酢、黒焼酎、黒にんにく、黒酢ブリ…)を始め、多くの賞を受賞した「霧島茶」
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