小笠原藤右衛門 提供のお礼の品
鍋島焼・伊万里焼について
■鍋島藩窯とは
江戸時代、日本で初めて磁器を完成させた肥前鍋島藩は、幕府将軍家への献上品や諸大名・公家への贈答品として使用したり、また自ら城内の用度品とする目的で、直営の「御用窯」を現在の佐賀県伊万里市大川内山に開設しました。そこでは中国景徳鎮窯と同様に、選りすぐりの名工だけを集め、厳選された原材料を用いて、採算を度外視した独特の組織運営(日本唯一の官窯組織)が行われました。このようにして作られた陶磁器を「鍋島」と呼びます。
■伊万里焼と有田焼の違い
その昔、これら肥前磁器は伊万里の港から全国各地・世界へと運ばれました。そのため、現在ではオールドイマリ(古伊万里)と呼ばれています。
明治以降、鉄道が敷かれ物流が変化すると、今度は有田から発送された焼き物として有田焼の知名度が上がっていったのです。
■伊万里焼と鍋島焼との違い
「伊万里焼」という時は、広く「伊万里市内で作られたやきもの全般」を指す場合が多い様に思われます。それに対し、鍋島焼とは、往時の鍋島様式に原則のっとった制作工程を踏まえ、その上で個々の窯元の表現アレンジを加えた磁器のことを指します。
■鍋島の意匠デザインについて
鍋島や気のデザインは、大きく見ると三つに分類されます。
●絵画からそのまま原画を利用したもの
●中国・南蛮から渡来した染織品の文様を翻案したもの
●具象のモチーフや抽象の幾何学文様などを皿の見込みいっぱいに描いたもの
先人達はこれらの図案を様々な技術(型打ち形成・浮かし濃み・墨弾き・青瓷掛分け等)と組み合わせて「鍋島」の世界を作り上げました。
■鍋島の価値
江戸時代、贈答品として大名諸侯が贈り合う陶磁器は主として茶道具、茶陶でした。一方食事の際に使用する食器は、あくまでも日用品で精神的・文化的価値の低い格下のやきものとして見られていた様です。このような中、佐賀鍋島藩は領内の有田・伊万里を通じ、オランダ東インド会社との交易でいち早く高級磁器の美術的価値に気付いたことで鍋島藩窯の着想を得、今日伝わる「鍋島」を完成させたものと思われます。普段使いを技術の粋を集めて他に類を見ない高級美術品へと昇華させた鍋島藩の選択は今日でも孤高的・独創的仕事として高く評価されています。
小笠原藤右衛門窯へのアクセス
伊万里市大川内町乙1971
☎0955-23-2282
小笠原藤右衛門 公式ページのご案内
●伊万里 鍋島藩窯 小笠原藤右衛門
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●小笠原藤右衛門窯facebook
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