九州最古の茶商 矢部屋許斐本家、300年の歴史!
矢部屋初代 許斐甚四郎は、今からおよそ300年前の1704~1710年代頃、現在の八女市本町福島地区に茸、和紙の原料、茶、木材などの山産物を取り扱う問屋業をはじめました。
お茶に特化した製茶問屋に転換したのは、慶応元年(1868年)8代目寅五郎。それから続くこと現在の14代健一まで先人の八女茶に対する思いを今に伝えます。
八女茶の名づけ親、10代許斐久吉
9代 許斐久吉は当地方の茶業の行末を案じておりました。
八女地方のお茶は総して「筑後茶」と呼ばれ、「星野茶」、「笠原茶」、「黒木茶」等々細かい地域名で、大半が旧来製法である釜炒製茶でした。当時流行していた蒸し製緑茶である「宇治茶」や「静岡茶」に生産技術や流通面で大きく差を開けられていました。
9代久吉は産地名を「八女茶」として一つにし、高品質な本製の量産化することに尽力します。
その思いは10代久吉が引き継ぎ、大正14年に「八女茶」の名称と特産化を提案し、満場一致で可決されたのです。
ようやく、親子二代にわたる悲願が達成され、現在の「八女茶」ブランドの礎を築いたのです。
矢部屋許斐本家の返礼品ラインナップ
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