山陰地方で水揚げされたズワイガニは「松葉ガニ」と呼ばれ、毎年11月6日から翌年3月20日までが漁期です。「てり吉」のいけすには、網野町の浅茂川(あさもがわ)、間人(たいざ)、舞鶴、津居山(ついやま)、柴山といった漁港から高級松葉ガニ(地ガニ)が集まってきます。脚に付いたそれぞれの港の名が入ったタグが、地元のブランドガニであることの証し。
卵からかえったカニは、3年かかってようやく親指の爪サイズに成長し、水揚げされるのは小ぶりなもので8~10年、大きいものは15年以上、海の底深くで生きてきたものです。特に最終脱皮から長く経過した堅ガニは身が詰まっていて濃厚な味がするため、高値で取引されます。
京丹後市網野町の料理旅館「てり吉(てりきち)」。1年を通して地魚料理がいただける「てり吉」ですが、特に地ガニのシーズンになると、常連客からの宿泊予約で大忙しになります。客の目当ては踊りカニ刺し、湯ガニ、焼きガニ、しゃぶしゃぶ鍋などの新鮮な地ガニ料理の数々です。
宿の主人で料理人の齊藤修司さんはセリの仲買人でもあります。しばらく海が荒れて地ガニの水揚げが減っても宿泊客をもてなせるように、その目利きの力とネットワークを駆使して、安定した仕入れを心がけています。
修司さんは遠方から訪れる客に1番おいしい状態で地ガニを提供するため、女将・郁子さんとともに、客への挨拶をする間もなく秒刻みでカニと格闘します。「いい加減な夫婦がやっている小さな宿ですよ」と謙遜しますが、漁師にもひいきにされ、「地元の人と常連のお客さんにかわいがってもらってやってきた」至極の料理旅館です。
修司さんの出身は、香川県丸亀市。瀬戸内海に浮かぶ本島(ほんじま)というところです。ズワイガニは獲れませんが、海の近くで育ったため、小さい頃から魚に慣れ親しんできたといいます。カニの扱いについては、京丹後に来てからじっくり学びました。
齊藤夫妻は、「てり吉」で「今までやっていないことを毎年ひとつやろう」と決めています。変わらない絶品地ガニ料理を作り続けながら、妥協することなく地元とお客さんのために小さな挑戦を繰り返す姿勢が印象的です。
「てり吉」は、日本海に面した美しいロケーションも魅力の宿です。目の前は遠浅の八丁浜で、オーシャンビューのお部屋もあります。この海の先(東方面)には、小浜(こばま)海水浴場があり、遊歩道を抜ければ、歩くとキュッキュと音がする「鳴き砂」の琴引浜海水浴場に続きます。実は夏の海水浴にももってこいの宿なのです。
私が「てり吉」を訪問したのはカニシーズンが始まり、冷たい雨が降る12月初旬。悪天候にもかかわらず、八丁浜には、数十人の黒い人影が波間に漂っていました。冬の日本海は波が荒く、素人目にはとてもサーフィンができる状況には見えませんが、実は八丁浜はビッグウェーブが立つこともあるサーフポイント。10月から3月までがサーフィンのベストシーズンなのだそうです。
寒空の下、自分に妥協せず、そして何よりも楽しそうに波と向き合うサーファーたちは、活ガニと格闘する「てり吉」の齊藤夫妻にも通じるところがあるように感じます。松葉ガニの生態やカニごはんの作り方、そして宿泊客とのやり取りについて話す夫妻のうれしそうなこと! その笑顔には、地ガニ料理に対する自信と最高のおいしさを届けることへの喜びがあふれています。