今回ご紹介するお礼の品は、丹後ちりめんの半襟小物です。半襟とは名前のとおり、襟部分に当てて着用する小物。和装の着こなしを演出するアイテムとして、なじみやすい白生地と恋唐草の絵柄が映える半襟の上質感、そして産地の物語をご覧ください。
京都府最北端に位置する、丹後半島。日本海に面したこの地域では、古代から大陸との交易が盛んに行われてきました。この地方の絹織物に関する歴史は深く、最も古い伝承では、丹後国風土記(たんごのくにふどき)に日本最古の羽衣伝説がつづられています。さらに奈良時代には、丹後地方で生産された絹織物が聖武天皇へ献上された記録が残っており、この時代にはすでに丹後地方では機織りが行われていたことがわかります。
「丹後ちりめん」として独自の技術を深めていったのは江戸時代中期のこと。今から約300年前の享保5年(1720年)、絹屋佐平治と呼ばれる人物が京都西陣から持ち帰った技術を参考に作り上げた絹織物の製法が「丹後ちりめん」の始まりとされています。
そもそも「ちりめん」とは、漢字で「縮緬」と表す通り、縮れた糸で織る絹織物を指しています。縮緬のなかでも丹後ちりめんとは、ここ丹後地方特有の方法で加工した縮れ糸を使った絹織物のこと。乾燥すると糸が切れてしまう繊細な絹織物にとっては、季節風「うらにし」がもたらす湿潤なこの地域の気候が適していたのです。江戸時代の中期に先人が地域に持ち帰った技術と、丹後地方特有の気候条件によって、この地域ならではの絹織物が発展してきたのでした。
今回訪れたのは、丹後半島の網野町浅茂川エリア。この町は古くから漁村として栄えた地域だったそうです。元々は砂浜だったこの辺りにも集落ができ、そして道を歩けばどこかしこから「ガッチャンガッチャン」と機織り機が動く音が聴こえる、丹後ちりめんの産地に変化していきました。
今回、お礼の品の丹後ちりめんの半襟を取り扱っているのは、浅茂川で呉服店を営むきもの処いけ部の店主・池部隆明さん。浅茂川の機屋の息子として、朝から晩まで機を織っている両親のもとに育ちました。そして、大学卒業後の22歳の時に京都市内の呉服問屋へ修業に入ります。
「着物のことは、仕事をはじめてすぐに好きになりましたよ。着物と織物の文化の奥深さに魅了されましたから」と語る池部さんは、各産地から集まってきた若者と共に学び、約10年の修業期間を経て故郷へ戻り、呉服店を立ち上げました。自宅兼店舗のお部屋では、予約制の個別対応で生地から着物の仕立て、お直し、クリーニングのアフターフォローまで幅広く着物に関する相談を受付けています。
「お仕事で一番うれしい瞬間はいつですか?」と尋ねると「良い生地に出会えた時と、自分で提案した着物の仕立てでお客様が喜んでくださった時やねぇ」と答える池部さん。そんな池部さんがとっておきの逸品として仕入れたアイテムが、着物の表生地を織る工房で生産されたこちらの半襟です。洋服にも表生地と裏地があるように、着物にも生地に表裏がありますが、表生地の産地として認められる地域は極めて限られます。丹後半島の機屋さんは「自分たちには、表生地を織らせていただける技術と産地の歴史がある」と誇りを持っているのだそうです。
表生地を織る機屋さんが、独自の技術で生み出した商品がこちらの半襟小物というわけです。一般的な半襟小物は折りたたんでパッケージされているのですが、こちらの商品は芯棒に生地を巻きつけた状態で収納できる仕組み。表生地の反物を織っている機屋さんの誇りと遊び心が垣間見えるデザインです。
白地の半襟には、織りで表現された模様が際立ちます。この模様は「恋唐草」といって、和柄の唐草模様をモチーフに機屋さんが考案したオリジナルデザインによるもの。軽やかな曲線が組み合わさった模様には、所々にハートマークが表れるゆえに「恋唐草」と名付けられました。
厚みがある生地の半襟は、襟元へ折り曲げて付ける際に緩やかな曲線を描くため、手触りだけでなく見た目にも確かな重厚感を演出します。長襦袢に縫い付けて着用し、着用後はぬるま湯を張った洗面器におしゃれ着用洗剤を入れて手押し洗いでお手入れしてください。「絹織物特有の吸湿性能によって、ベタつかず、カサカサと擦れることもなく、肌心地の良い着用感を実感できる半襟です」と目利きした池部さんイチオシの逸品です。
着物が普段着であった時代は遠く過ぎ、現代ではハレの日の特別な衣装として受け継がれている着物。特別な日の装いを担う着物だからこそ、確かな品質と想いが込もった品を身につけて、非日常を味わう晴れ着にしてほしいのだと池部さんは語ります。そして、今回は丹後ちりめんの側面からご紹介した丹後半島ですが、古墳の時代から脈々と続く歴史、絹織物と共に生まれた養蚕に由来する独自の神事、豊かな海と田畑によって育まれた食文化、そして日本三景にも名前入りする通りの海を中心とした名勝の数々。見どころは、織物産地としての側面だけに留まりません。
晴れ着の着物を身にまとって、見どころの詰まった丹後半島へ旅に来て、非日常を楽しめる機会が増えますように。この町だからこそ表現できる日本文化と、それを支える丹後ちりめんの技術を永く継承していきたい。「だから、もっともっと、気軽に着物を来て楽しんでもらえる体験の場も増やしていきたいんです」と語る池部さんの眼差しは、自分が心から良いと思うものを広めたいと願う好奇心に満ちていました。
京都府最北端のまち・京丹後市出身、在住。森と林業について学び、京阪神エリアではたらいた後、10年振りにふるさとへUターン。現在は有機農家として稲作、お米をつかったお菓子を販売する傍ら、ライターや編集者として京丹後の暮らしについて発信しています。
日本海に面した半島として独自の文化を有する京丹後市は「何度も通いたくなる場所」としてリピーターを集めている地域です。