今回ご紹介するのは、京都東山で創業115年を越える“かばん屋さん”、「一澤信三郎帆布」。今や日本国内に留まらず、海外からも旅の目的地となっているお店の原点は、一台の西洋ミシンにありました。初代・一澤喜兵衛(きへえ)さんは当時まだ珍しかった西洋ミシンを入手。ちょっとしたシャツや道具入れを縫い始めました。そのミシンを本格的に活用し始めたのは二代目の常次郎さん。依頼に応じて職人用のかばんを作り始めたそうです。
そして、昭和のはじめにはアメリカから最新型の工業用ミシンを購入し、分厚い帆布生地でかばんを作り始めたことが「一澤帆布店」として名を馳せるきっかけになりました。大工さんや左官屋さんなど、職人たちの声を聞きながら道具袋など作るうちに、丈夫で長持ちする帆布かばんの人気が広がっていったのです。
現在、四代目として家業を受け継ぐ一澤信三郎社長は「お客様と顔が見える関係で、声を聞きながら、丁寧なものづくりを続けること。京都でつくって、京都で売ること。このモットーは変わりません」と語ります。職人さんの要望を聞きつつ道具袋を作っていた時代から、その姿勢は変わりません。
商品の一つである「綿帆布製手さげかばん」は、ブランドのあゆみを語る上でも欠かせない、象徴的なかばんの一つ。二代目・常次郎さんが家業を営んでいた頃、京都のまちを自転車で配達に回っていた牛乳屋さんから、かばんの注文が入りました。
そこで常次郎さんが考案したデザインは、牛乳瓶が入るように、底が真ん丸の仕上がり。自転車と擦れる部分は当て布で補強するなど、工夫を重ねた確かな品質は牛乳屋さんから人気を集めます。そして便利で丈夫な帆布かばんは、大工さん、左官屋さん、酒屋さんなどの注目を集め、京都ではたらく職人たちの間へ広がることとなったのです。
そんな、牛乳配達かばんを原点とした手提げかばんが今回の返礼品です。丈夫で使いやすい帆布素材は当時のままに、A4サイズの資料が縦向きにも横向きにも入る形に。底のマチは、丸型から、身体に沿わせて持ちやすい楕円形へ。京都のまちで働く職人に愛された丈夫さ、使いやすさを残しつつ、新しい暮らしに寄り添うようなリデザインを重ねながら、ブランドの原点となったかばんは、今なお息づいているのでした。
丈夫さを裏付ける理由の第一は、まず帆布の生地。一澤信三郎帆布のかばん専用として織られた国内産の生地が使用されています。分厚い帆布をしっかり縫うために、あらかじめ木槌(きづち)で叩いて折り目をつけてから縫製されています。さらに、持ち手のように負荷が掛かりやすい部分には、口元を3本縫ってカシメ金具で補強。このように、長く丈夫に使えるような一手間が施されています。
数ある商品のなかでも、手提げかばんは今なお定番の商品。“一家に一つ”のような存在として、家族で使われる場合も少なくないそうです。目指す顧客層ごとに商品が細分化される時代において「さまざまな用途で、家族でシェアできるかばん」とは、なんと稀有な存在でしょう。「老若男女の境目なく、ながく愛されるかばん」が生み出される理由は、工房の風景にも表れていました。まさに“老若男女”の職人さんが一堂に会してはたらく、帆布のかばん工房。そして社長自ら「オモロいことをやってみよう」と語る社内では、誰でも試作品を作ってアイデアを提案できる仕組みが採用されています。
試作されたかばんは、職人たちが皆で順番に使ってみて「誰が使っても、心地よく馴染むかばんであるか」をじっくり確かめる、とのこと。約5年の試作期間を経てお披露目された商品もあるというから驚きです。
丈夫で丁寧に作られた一澤信三郎帆布のかばんは、消耗品ではありません。長く愛用されるからこそ、工房には修繕依頼のかばんが数多く送られてきます。なかには「家族が生前ずっと使っていた愛用品だから直して使いたい」といった年季もののご依頼もあるほど。「お客様がかばんと共に過ごした思い出の一点物だからこそ、もっとも注意を払う」という修繕作業は、専門の職人がお客様の要望を聞きながら対応されています。
自然素材を使った商品には、変化が付きものです。風合いの変化も、かばんと過ごした歴史のひとつ。信三郎社長の妻であり、共に家業を支える恵美さんは「経年によって風合いを増す帆布は、経年劣化ではなく“経年優化”するんです」と帆布かばんの魅力を教えてくださいました。自然素材のものづくりは味わいを持って風合いが変化するからこそ、「使い込んだ“思い出”を刻む性質を持っている」(一澤ご夫妻)ということ。
毎日愛用していれば、そのうちに傷や綻びが生じることもあるかもしれません。そんな時は、また京都東山の工房で、お直ししてもらうも良し。風合いを育てるような感覚で、丁寧に作られたかばんを長く愛用してみませんか?
京都府最北端のまち・京丹後市出身、在住。森と林業について学び、京阪神エリアではたらいた後、10年振りにふるさとへUターン。現在は有機農家として稲作、お米をつかったお菓子を販売する傍ら、ライターや編集業を務めています。
日本の古都として文化が醸成されてきた京都市は「温故知新」の教えが根付いている街。自然との調和から、人々の縁まで「世の中に長く愛されるものづくり」の技と姿勢が継承されています。