富士山のふもとに広がる山梨県側の5つの湖・富士五湖。その一つ「西湖」は、富士山麓のやわらかな風をうけてそよぐ穏やかな水紋と、湖底まで透けて見える水の透明さが印象に残る美しい湖です。近年は、SUP(サップ)やキャンプ、釣りなどのアウトドアアクティビティでも注目度が高まっています。
その北西岸にある「根場浜(ねんばはま)」は西湖と樹海越しの富士山を望む景勝地。そこから富士山を背に山側を眺めてみると、茅葺き屋根の家々が立ち並ぶ日本の原風景のような集落が目に飛び込んできます。
「ここは、『西湖いやしの里根場(ねんば)』。古材を用いて20棟ほどの茅葺家屋を中心に根場集落を再現した場所です。私は7年ほど前からこの『見晴屋』に入居し、作品を販売したり、奥で作画を行ったりしています」
こう聞かせてくれたのは、富士吉田市出身のアニメーター・前田こうせいさん。代表作は1975(昭和50)年に放送開始され、19年もの長い間お茶の間に愛され続けたテレビアニメ『まんが日本昔ばなし』。前田さんはその制作にチーフディレクター兼アニメーターとして携わっていました。「親子連れが見晴屋を訪れると、自分が小学生の頃に見ていたアニメということで、とくに大人(親)がいい反応をしてくださるんです。もうずいぶん昔の仕事ですが、こうして根強いファンがいてくださることは嬉しいことですね」
前田さんは、手塚治虫が立ち上げたことで有名な「虫プロダクション」でアニメ制作の基礎を学ぶと、家庭の事情で山梨に戻ります。その後、「まんが日本昔ばなし」の制作はすべて富士吉田市の実家で行なっていました。
「電話とファックスと郵便を駆使して東京の仕事を自宅で受けていました。物語さえあれば、キャラクター設定もセリフもアニメーション作画も一人で行うことができる『まんが日本昔ばなし』だからこそ成り立ったという気はしていますが、現代でいうリモートワークのような仕事の仕方。僕はリモートワークの超先駆けかもしれませんね」
1994(平成6)年に放映が終了するまでの間に80本以上を作画・演出。長い間全力を注ぎ続けた仕事だったからこそ、放送終了後からは激しい脱力感におそわれ、燃え尽き症候群のような精神状態を味わったといいます。
「まったく描けなくなってしまったんです。仕事はあるのに、意欲がどこかへ行ってしまった。まずいな、まずいなと思っていたんです。そんな中である日、唐突に大きな絵が描きたくなって。あまりにも唐突だからキャンパスも何もないわけです。そこで思いついたのが布団のシーツでした」
シーツを破り、前田さんが描いたのは小さな桃と小さな人間。そして光を放つその桃から一目散に逃げていく鬼たち。この一枚を描いたことをきっかけに前田さんは創作に対する情熱を取り戻し、長らく心に在り続けていた富士山をテーマにしたアニメーションの制作へと動き出します。
前田さんのアニメーションが高い評価を受ける理由の一つが独創性。特に近年はストーリーを考えることにより重きを置くようになったそうです。そんな前田さんは現在、この返礼品の収益などを活用して、新たなアニメーションの制作を予定しているそう。その背景にはこんな思いがありました。
「コロナ禍以前、外国人がこの『見晴亭』を訪れ、僕の絵を見ながらあれこれ質問をするのです。そうすると一緒にいる日本人がなかなかいい加減なことを伝えている。その様子を見ているうちに、日本の伝説や文化、昔話や逸話が伝えようとする教訓をきちんと後世に伝えられる作品を作らなければと思うようになりました。そこでまず作ったのが絵本の『花咲か爺さん』。僕はこの絵本と今回の返礼品の収益とで、『花咲か爺さん』のアニメーションを製作したい。僕が一枚一枚手描きで作るからこそ、残すことのできるぬくもりや、日本的な感性があると思う。『まんが日本昔ばなし」のように、20年、30年先にも届く映像を制作したいと思っています」