かつて大聖寺(だいしょうじ)藩の城下町として栄えた石川県加賀市。藩政時代からの歴史文化が息づき、九谷焼や山中漆器といった伝統工芸がさかんなエリアとしても知られます。
今回訪れた山代(やましろ)温泉は、加賀の温泉文化を今に伝える情緒豊かなまち。中心部には明治時代の共同浴場を復元した「古総湯(こそうゆ)」(写真上)があり、そのまわりを囲むように温泉宿や店舗が立ち並びます。「湯の曲輪(がわ)」とよばれる昔ながらの町並みは、浴衣姿がよく映えます。
開湯からおよそ1300年、与謝野晶子(よさのあきこ)、泉鏡花(いずみきょうか)ら数多くの文化人に愛された山代温泉。
なかでも芸術家・北大路魯山人(きたおおじろさんじん)は、無名時代に滞在した山代温泉での経験が才能開花のきっかけになったといわれています。今回の返礼品は、魯山人ゆかりの宿として知られる「たちばな四季亭」の宿泊券です。
たちばな四季亭の創業は明治元(1868)年。長い歴史の中で建て替えやリニューアルを行いながら、時代やニーズの変化に対応してきました。「老舗ではありますが、快適に過ごしていただくために変えるべきものは変えていかねばなりません。一方で守るべきものもある。日本文化や加賀のおもてなしは、大切に守っていくべきものだと思っています」と語るのは、7代目の和田守弘(わだもりひろ)さん。
その言葉通り、九谷焼で作られたふすまの引き手や、抹茶のサービスなど、加賀に息づく文化や美意識がそこかしこに。全館に桐の床を敷いてあるのも、靴をぬぎ、素足でくつろいだ時間を過ごしてもらいたいという思いの表れです。「桐の床は珍しいといわれますが、日本人になじみ深い樹種ですし、天然木ならではの温かみが心を癒してくれますから」と和田さんはいいます。
こだわりは、季節をそのまま映したような懐石料理にも。「北陸は食材が豊富なところで、特に天然のもの、季節のものを使うという点はゆずれません」。春はホタルイカ、秋はノドグロなど、丁寧に下ごしらえをした食材が美しい料理に仕立てられ、一品ずつ頃合いをみて食膳へと運ばれます。
九谷焼の器や季節のあしらいなど、細部までもてなしの心が行き届いた料理の数々。加賀の四季を、目と舌で楽しませてくれます。加賀の山間部でとれたコシヒカリの釜炊きご飯も楽しみ。
和田さんは、宿に伝わる魯山人とのエピソードも語ってくれました。若き魯山人が看板制作の仕事で山代温泉を訪れたのは、大正初期のこと。「当時、山代には茶の湯や芸術に造詣が深い旦那衆が多く、彼らが魯山人の才能を早くから見出したようです。よく魯山人を囲んで、芸術について語り合ったそうですよ」と和田さん。
「私の曽祖父にあたる和田重太郎(わだじゅうたろう)は工芸デザインなどを手がけた人物で、魯山人に絵画の手ほどきをしたと聞いています」。館内に飾られたこちらの看板は魯山人の作。和田さんによれば「世話になったお礼にと、別館『洗心館』の看板を彫ってくれたもの」だそう。
ロビーには200種類の色浴衣をそろえたコーナーがあり、好みの柄を選べるほか、作務衣(さむえ)も用意されています。客室の露天風呂や館内大浴場で心と体をほぐしたら、お気に入りの色浴衣をまとって温泉街を散策するのもおすすめですよ。夜はロビーでくつろぎながら、ピアノの生演奏に耳を傾ける贅沢なひとときも。
正統派の温泉旅館でありながら、肩ひじ張らずに過ごせるたちばな四季亭。行き届いた心遣いと、それを感じさせない奥ゆかしさこそ、この宿が守り継いできたものかもしれません。
山代温泉は「あいうえお」の五十音発祥の地といわれています。それは、五十音の原型を考案した僧・明覚(みょうがく)が、山代温泉・薬王院温泉寺の住職をしていたから。これにちなんで、たちばな四季亭は「ひらがなのおもてなし」をコンセプトにしています。その極意について、和田さんが説明してくれました。「ひらがなって、響きが柔らかいでしょう。お客様を柔らかい心でおもてなししたいと思っているんです」。宿でゆっくりと過ごすうちに、心がふんわりほどけていく。そんな豊かな時間を、ここでは存分に満喫することができます。