新庄市の畑(はた)地区で栽培されているため、この名前がつきました。最上川を使った紅花の舟運が盛んだった300年以上前に、北前船で上方から種が持ち込まれたものと考えられています。畑(はた)の人たちは、その名の通り畑で野菜を作り、それをリヤカーで街に売りに行き生計を立てていましたが、水稲が盛んになり、次第にその暮らしは変わっていきました。
「このなすだけは、みんななぐさね(無くさない)で作ってきたなだ。」
人の手によって長い歴史を受け継いできた「畑なす」は、平成22年10月に最上伝承野菜に認定されました。